●作品評
幻の傑作『DOG STAR MAN』を巡って 那田尚史
戦後の日本映画は60年代から大変革期を迎えた。映画産業は1961年頃ピークとなるが、量産体制による質の低下、テレビの大衆化などの原因から映画は国民的娯楽の花形の座から徐々に滑り落ち、松竹ヌーヴェルバーグ、ATGシステムの発生、独立プロの活躍など[もう一つの映画]のあり方を模索するようになった。[もう一つの映画]の究極的形態が8ミリ大衆機の発売に呼応した個人製作映画である。
個人映画は60年代後半から戦前のヨーロッパ前衛映画と戦後のアメリカの実験映画(当時はアングラ映画と呼ばれた)が一挙に紹介されたことに大きく影響され、特に同時代芸術としてのアメリカの実験映画は、適正露出、端正な構図、静かなカメラ移動、判りやすいプロット、といったハリウッド映画を規範とする従来のアマチュア作家の美意識の対極に立つため、こんな映画もあるのか、と日本の観客に強い衝撃を与えた。ジャック・スミス、ケネス・アンガー、マイケル・スノウ、ジョナス・メカス等の代表的作家の中でもその後の日本の個人映画作家に最も強い影響を残したのがスタン・ブラッケージである。
ブラッケージの映画にはワン・コンセプトのミニマリズム作品の他、『MOTHLIGHT』のように蛾の羽根をフィルムにはさんで作られたコラージュ作品、出産シーンを撮った『WINDOW
WATER BABY MOVING』や性交場面を撮った『LOVING』などの過激な身辺作品(アヴァンギャルド・ホーム・ムービーと呼ばれる)等、多彩なスタイルがある。その中でも『DOG
STAR MAN』は戦後の実験映画の中でも最高傑作の一つとされるが、その全貌を見る機会はこれまでになかった。まさに幻の一作であるといえよう。
この作品の意義についてはシェルドン・レナンの次の言葉が雄弁に語っている。
−−−『DOG STAR MAN』(1961-64)はブラッケージの今までの作品中の代表作である。これは技術的にも主題的にも非常に入り組んだ映画で、これを十分に説明するには、ジョイスの『フェネガンズ・ウェイク』同様、一冊の本を必要とするだろう−−−
日本人にとって特別に興味深いことは、日本文化から多様な影響を受けたイマジズムの詩人エズラ・パウンドの美学に学んだブラッケージが、日本の伝統芸術[能]にインスパイアされてこの作品を作った事実だろう。彼はまた当時のアメリカのアーチストの多くがそうだったように禅の思想にも洗礼を受けている。
作品を概説すれば、『DOG STAR MAN』は毛むくじゃらのきこり(作者本人)が斧で木を切り倒しながら山を登っていくという神話詩的作品であり、[序章]から始まって[第1章][第2章][第3章][第4章]の5つの章から構成されている。[序章]はこれから始まる作品全体のテーマを予兆の夢のように示し、人間と宇宙の一体化、ミクロとマクロの呼応が表現される。この作品は丸一日の出来事を描いているが、同時に[第1章]から[第4章]までの各パートそれぞれが四季と人生の過程に対応する多重の構成にもなっており、また技術面でも各パートが進むにつれ二重露光から三重、四重露光へと次第に重層空間を積み上げていく。まず[第1章]は夜中と冬の章で、斧を持ち犬を連れたきこりが一歩ずつ山を上り始める。ここは特に[能]の影響が顕著でゆっくりとした単一動作が静かな緊張を孕んでいる。[第2章]は春と早朝と再生の章であり、主人公は山頂に辿り着く。[第3章]は夏と真昼に相当し、男性と女性のイメージが対立融合するブリューゲルの絵画を思わせる。[第4章]は秋と夕暮れのパートであり、犬星人間が山を転がり落ちて全人類の歴史の終焉を示しながら序章への再生を暗示する。
『DOG STAR MAN』は一言で言えば母胎回帰の映画、失われた無限を取り戻そうとするロマン主義作品である。しかし、一般の映画と異なり被写体の演技やプロットにのみ依存するのではなく、例えばミクロとマクロの対比を太陽の炎と心臓の脈動の対比で表現するシーンで、表現媒体であるフィルム自体を感光させるような重層的表現が多く採用されている。その他、フェイドの多用、陰画、歪曲レンズ、黒味とスヌケの使用、逆回転撮影、高速度撮影、素早いカメラ移動、フィルムへのスクラッチングやペインティング、合成、多重露光、またジョン・ケージに影響された偶然性の原理などあらゆる手法を駆使して、精妙このうえない[編集のダンス]が展開する。つまり、この作品は観客の心理をドラマの中に誘い込むというより、所謂[異化効果]の作用を施しつつ、フィルムを通して作家の[内的/外的ビジョン]を[再現/表現/拡張]することで、これらの総合的な視覚刺激に触発された観客の[自我を越えたより原初的な中心部分]を揺さぶろうとする。ドラマの意味だけではなく視覚の多種多様な刺激を通した総合的コミュニケーションこそブラッケージ映画の真骨頂なのである。
文献を通してブラッケージの発言を読む限りでは、彼はどうも一般人と異なる異常な視覚神経の持ち主のようだが、そうした個人の資質はさておき、ブラッケージの方法論は日本では[視覚主義]と呼ばれ、その後70年代前半の日本の実験映画に(神話詩的テーマを捨象した上で)強い影響を与え、日本独特の視覚主義作品を生む源流の一つとなった。現在第一線で活躍する実験映画作家のなかにブラッケージの末裔を何人も数えることができる。
このような意味でもまさに記念碑的作品と言える『DOG STAR MAN』完全版が、今回一般に初公開されることは実に意義深く、嬉しい知らせである。この作品が、やや疲労気味の現代の映像シーンにとって強いカンフル剤になってくれることを期待してやまない。
(なだ ひさし/映像研究家)
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