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DOG STARMAN

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DOG STARMAN    

序章、第1章、第2章、第3章、第4章
監督:スタン・ブラッケージ
78min color silent 1961-64年 アメリカ映画

ケネス・アンガー、ジョナス・メカス、アンディ・ウォーホルを超えたアメリカン・アンダーグラウンド映画の金字塔スタン・ブラッケージの最高傑作!
あの伝説の『DOG STAR MAN』完全版、ニュープリントでついに公開!

1967年『プレリュード(序章)』が草月ホールで初公開されて話題となり1971年に完全版が同じく草月ホールで上映されるはずも第3章が税関の検閲で輸入STOPとなった幻の作品。

78分間全篇音声のない映画! 日本の映画館で純然たるサイレント映画が公開されたことはあっただろうか!

デジタル一辺倒の時代に 映画フィルムというメディアのなかでブラッケージが成しえた究極の視覚表現を観客それぞれが音声のない空間で体験し、そしてトリップする!

ブラッケージのパーソナルな視点は、 光と闇のなかから時空間を経てミクロからマクロの宇宙感へと我々を誘う。

何の制約もない、映画のどんな約束ごとからも自由な映画。
世界中のフィルムメーカーに多大なる影響を与え続けている 『DOG STAR MAN』を体験せよ!

 
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●はらっぱ祭り『DOG STAR MAN』&映像インスタレーション 野外上映

11/2.3.4の3日間、東京都小金井市の都立武蔵野公園くじら山はらっぱという所で、今年も『はらっぱ祭り』というイベントがあります。去年も映像インスタレーションとして参加したのですが、今年はインスタ+『DOG STAR MAN』野外大スクリーン上映を計画しています。

来た事のある人は(ほとんどいないでしょうね…)おわかりでしょうが、このはらっぱは東京では珍しく、あまり整備されていない、野性味に溢れる広大な場所です。祭りはヒッピー系の実行委員によって運営されており、竹や木で作ったいくつかのステージを中心として、ロック、レゲエ、フォーク、民族音楽等のライブ、パフォーマンス、さまざまなエスニック屋台があふれ、祭り期間はテント生活者がうろうろする怪しいお祭りです。

それでも保守的な地元民とヒッピーがなんとか協力しながら作っていく、変な魅力のある祭りで今年で16回目くらいになるのかな。

私と水由は保育所のバザーで7年前くらいから関わっているのですが、近年、ビデオプロジェクターの簡易化で、映画上映と称したビデオ上映が乱発しているのに耐えられず、8ミリおよび16ミリ等フィルム上映のみを条件とした映像インスタレーション企画を考えました。

おおよそのふんいきは光学劇場ミニ版とお考えいただければわかるでしょう。

昨年は、映像作家の太田曜氏と末岡一郎氏に御協力いただき、造形大の学生や阿佐美の学生が多数参加してくれて、なかなか美しいものができあがりました。今年もまた多くの学生が太田、末岡氏といっしょに参加して下さるとともに、映像作家の一瀬晴美さん他も参加します。昼間はめちゃめちゃ暑く、夜はめちゃ寒い過酷な自然環境で、駅から離れた遠いところですが、ぜひ足をお運びください。

上映:スタン・ブラッケージ監督『DOG STAR MAN〜プレリュード〜』
1961-1964/16ミリ/25分
他8ミリと16ミリフィルム等による映像インスタレーションあり
日時:11/3(日)、11/4(月)両日19:00〜21:00
場所:都立武蔵野公園くじら山はらっぱ
   はらっぱ祭りBステージ前および林の中
交通:JR武蔵小金井駅南口より徒歩20分あるいはバス10分
入場料:無料
問い合わせ:片山薫 0422-39-7644

http://homepage.mac.com/soranet/HARAPPA/
★TOPページに去年のインスタの記録集(太田曜氏作成)がアップされてます。はらっぱへの地図も載っています。

 
 
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●解説

 アヴァンギャルド映画の歴史は1920年代にパリを中心にマン・レイ、ジュルメール・デュラック、ハンス・リヒター等に代表される作家たちによって飛躍的発展を遂げた。しかし、その後ヨーロッパに大陸に吹き荒れたナチズムの嵐がダダイスト、シュールリアリスト等の前衛的な芸術家たちをアメリカへと追いやることとなり、アヴァンギャルド映画活動も下火となって1930年代にはほとんど途絶えてしまった。

  こうしたヨーロッパからの亡命芸術家たちの影響を受け、1940年代からのアメリカの前衛芸術は高揚し、新しい世代の映画作家たちはハリウッドでの映画制作の修行という時間を費やすことなく、商業ベースとは全く隔絶した地点から、自分のフィールド内で個人による映画制作に着手していった。「ニュー・アメリカン・ニューシネマ」 と呼ばれた作品群である。

  第二次世界大戦の終わりから1950年代後半にかけては、マヤ・デレン『午後の網目』やケネス・アンガー『花火』に代表される心理映画(サイコドラマ)的な作品が主流を占めていた。その後1960年代に入ってからは映画の成り立ちや、物質としての映画、視覚的な効果等の観点から映画を捉える「構造映画」と呼ばれる作品も登場してきた。

 スタン・ブラッケージ『DOG STAR MAN』は、日本では「構造映画」の代表格として認識されてはいるが、「構造映画」の範疇に留まらない多分に叙情性が含まれた神話詩的な作品といえる。

 『DOG STAR MAN』は、木こりが山を登っていくという象徴的なイメージを中心に、多重露光、コマ撮り、フェードイン・アウト、スクラッチ、フィルムの腐食等といったあらゆるフィルムのテクニックを使いながら、人間が生きるということ、自らの存在意義について視覚的な観点から検証している。

 『DOG STAR MAN』は、物語の筋としての展開はなく、輪郭も定かではない視覚的にめくるめく映像のコラージュが連続し、しかもサイレント作品であるため、最初に観客はとまどい混沌とした状態におかれるかもしれない。しかし、そこには生活するコロラドの山中の自然、夫婦間のSEX、出産、赤ん坊の成長する姿などのホームムービー的な映像がおさめられている。日常の生活と映画撮影が一体となったところからブラッケージの映画は生まれている。

個人映画、実験映画の傑作として、完成から30数年を経た現在でも世界中のフィルム・メーカーのみならず、多くの芸術家たちの間で語り継がれてきた『DOG STAR MAN』が完全版、ニュープリントでいよいよ公開される。





 
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●スタン・ブラッケージ略歴
1933年アメリカミズーリ州カンザス生まれ。幼年期はデンバーで育つ。ダートマ大学在学中に処女作『インタリム』を撮る。大学中退後サンフランシスコを経て1955年からニューヨークで活動する。マヤ・デレン、マリーメンケンらと出会い作品を多数発表する。作品は初期のサイコ的ドラマから神話詩、抽象的映像詩作品群に移行する。この時期の代表作として『夜への期待』(1958)、『DOG STAR MAN』(1961-64)、『ソング』シリーズ(1964-69)などがある。コロラドに居をかまえ、その後も精力的に制作を続け作品数は200本余を数える。60代後半になった今日でも、常にフィルムによる表現の実験精神を貫く姿勢は世界のフィルムメーカー、実験映画作家に多大なる影響を与えている。



 
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●作品評
 幻の傑作『DOG STAR MAN』を巡って   那田尚史
 戦後の日本映画は60年代から大変革期を迎えた。映画産業は1961年頃ピークとなるが、量産体制による質の低下、テレビの大衆化などの原因から映画は国民的娯楽の花形の座から徐々に滑り落ち、松竹ヌーヴェルバーグ、ATGシステムの発生、独立プロの活躍など[もう一つの映画]のあり方を模索するようになった。[もう一つの映画]の究極的形態が8ミリ大衆機の発売に呼応した個人製作映画である。

 個人映画は60年代後半から戦前のヨーロッパ前衛映画と戦後のアメリカの実験映画(当時はアングラ映画と呼ばれた)が一挙に紹介されたことに大きく影響され、特に同時代芸術としてのアメリカの実験映画は、適正露出、端正な構図、静かなカメラ移動、判りやすいプロット、といったハリウッド映画を規範とする従来のアマチュア作家の美意識の対極に立つため、こんな映画もあるのか、と日本の観客に強い衝撃を与えた。ジャック・スミス、ケネス・アンガー、マイケル・スノウ、ジョナス・メカス等の代表的作家の中でもその後の日本の個人映画作家に最も強い影響を残したのがスタン・ブラッケージである。  ブラッケージの映画にはワン・コンセプトのミニマリズム作品の他、『MOTHLIGHT』のように蛾の羽根をフィルムにはさんで作られたコラージュ作品、出産シーンを撮った『WINDOW WATER BABY MOVING』や性交場面を撮った『LOVING』などの過激な身辺作品(アヴァンギャルド・ホーム・ムービーと呼ばれる)等、多彩なスタイルがある。その中でも『DOG STAR MAN』は戦後の実験映画の中でも最高傑作の一つとされるが、その全貌を見る機会はこれまでになかった。まさに幻の一作であるといえよう。

 この作品の意義についてはシェルドン・レナンの次の言葉が雄弁に語っている。
−−−『DOG STAR MAN』(1961-64)はブラッケージの今までの作品中の代表作である。これは技術的にも主題的にも非常に入り組んだ映画で、これを十分に説明するには、ジョイスの『フェネガンズ・ウェイク』同様、一冊の本を必要とするだろう−−−
 日本人にとって特別に興味深いことは、日本文化から多様な影響を受けたイマジズムの詩人エズラ・パウンドの美学に学んだブラッケージが、日本の伝統芸術[能]にインスパイアされてこの作品を作った事実だろう。彼はまた当時のアメリカのアーチストの多くがそうだったように禅の思想にも洗礼を受けている。

  作品を概説すれば、『DOG STAR MAN』は毛むくじゃらのきこり(作者本人)が斧で木を切り倒しながら山を登っていくという神話詩的作品であり、[序章]から始まって[第1章][第2章][第3章][第4章]の5つの章から構成されている。[序章]はこれから始まる作品全体のテーマを予兆の夢のように示し、人間と宇宙の一体化、ミクロとマクロの呼応が表現される。この作品は丸一日の出来事を描いているが、同時に[第1章]から[第4章]までの各パートそれぞれが四季と人生の過程に対応する多重の構成にもなっており、また技術面でも各パートが進むにつれ二重露光から三重、四重露光へと次第に重層空間を積み上げていく。まず[第1章]は夜中と冬の章で、斧を持ち犬を連れたきこりが一歩ずつ山を上り始める。ここは特に[能]の影響が顕著でゆっくりとした単一動作が静かな緊張を孕んでいる。[第2章]は春と早朝と再生の章であり、主人公は山頂に辿り着く。[第3章]は夏と真昼に相当し、男性と女性のイメージが対立融合するブリューゲルの絵画を思わせる。[第4章]は秋と夕暮れのパートであり、犬星人間が山を転がり落ちて全人類の歴史の終焉を示しながら序章への再生を暗示する。

 『DOG STAR MAN』は一言で言えば母胎回帰の映画、失われた無限を取り戻そうとするロマン主義作品である。しかし、一般の映画と異なり被写体の演技やプロットにのみ依存するのではなく、例えばミクロとマクロの対比を太陽の炎と心臓の脈動の対比で表現するシーンで、表現媒体であるフィルム自体を感光させるような重層的表現が多く採用されている。その他、フェイドの多用、陰画、歪曲レンズ、黒味とスヌケの使用、逆回転撮影、高速度撮影、素早いカメラ移動、フィルムへのスクラッチングやペインティング、合成、多重露光、またジョン・ケージに影響された偶然性の原理などあらゆる手法を駆使して、精妙このうえない[編集のダンス]が展開する。つまり、この作品は観客の心理をドラマの中に誘い込むというより、所謂[異化効果]の作用を施しつつ、フィルムを通して作家の[内的/外的ビジョン]を[再現/表現/拡張]することで、これらの総合的な視覚刺激に触発された観客の[自我を越えたより原初的な中心部分]を揺さぶろうとする。ドラマの意味だけではなく視覚の多種多様な刺激を通した総合的コミュニケーションこそブラッケージ映画の真骨頂なのである。

  文献を通してブラッケージの発言を読む限りでは、彼はどうも一般人と異なる異常な視覚神経の持ち主のようだが、そうした個人の資質はさておき、ブラッケージの方法論は日本では[視覚主義]と呼ばれ、その後70年代前半の日本の実験映画に(神話詩的テーマを捨象した上で)強い影響を与え、日本独特の視覚主義作品を生む源流の一つとなった。現在第一線で活躍する実験映画作家のなかにブラッケージの末裔を何人も数えることができる。

 このような意味でもまさに記念碑的作品と言える『DOG STAR MAN』完全版が、今回一般に初公開されることは実に意義深く、嬉しい知らせである。この作品が、やや疲労気味の現代の映像シーンにとって強いカンフル剤になってくれることを期待してやまない。
(なだ ひさし/映像研究家)
























 
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●コメント
大竹伸朗(画家)
旧石器時代、一人の人類が石器ナイフの替わりに16mmカラーフィルム入り石器カメラを創ってしまっていたら、だれかがきっとこんな映像を撮ったにちがいない。映像を眺めながら、自分の感覚が光の粒と化し、内に外にめまぐるしく飛び散るのを感じた。
丘の上に座し、遠くマグマ噴き出る火口を眺める“原子人”ブラッケージの姿がなぜか脳内を横切る。

飯村隆彦(映像作家)
『DOG STAR MAN』はブラッケージのスタイルを確立したばかりではなく、アメリカの実験映画の最初の金字塔となる作品である。これまで日本では、プレリュードのみ見られていたが、全編を見ることで、この作品の真の価値が発揮されるだろう。私が初めてこの作品をニューヨークのシネマテークで見た時の解放感を忘れることができない。体からすべてのエネルギーが解き離れたような見ることの至酷からの解放である。

松本俊夫(映像作家)
独得な映像の文体で外界と内界の識閾を往きつ戻りつしながら、そのうねりの果てに宇宙の根源的実存と深く共振しようとしている作者の思いが伝わってきて感動的だ。60年代アメリカ実験映画が歴史に残した傑作である。

萩原朔美(エッセイスト)
フィルムのマチェールを感じさせるのが、ブラッケージの作品だ。『ドッグ・スター・マン』の魅力もそこにある。フィルムがキャンパスの布に思えてくる不思議さ。ニューヨークでこの映画に出逢った時のことは今も忘れられない。

大浦信行(美術家)
世界の始まりと終わりの、その中間にたゆたう宙吊りにされた私たちの生と死の諸々が、ヌメリを伴ったセルロイドの薄い皮膜を通してデロリとこぼれ落ちる時、『DOG STAR MAN』は私たちの内蔵する宇宙の原初的光景を、つややかで湿りをおびた映像を通して具現化してみせる。
映画がたった100年の歴史の産物などでは決してなく、人類が誕生するずっと以前の太古から、私たちの夢と抑圧を孕みながら、かつ引き延ばされたユートピアの死を証明する為の記憶装置として在ったのだと、気づかせてもくれる。

神長恒一(だめ連)
ぶっとべるぞー、この映画は!!ドラッグよりももっと遠くまで。映画館の暗闇の中はひたすら無音状態。しかし、しだいに頭の中で轟音が響き始めるのだ!日常だけでは退屈だ。

ミルクマン斉藤(groovisions)
つまるところ多くの映画は(文学と同様)、言葉と文字で世界を思考する。しかしブラッケージはフィルムという物体を通して「光」を、すなわち宇宙を直接手に入れようとした。真の意味で「映画」とは彼を指すのである。とりわけ『DOG STAR MAN』がなかったら、映像史の約半分はどれだけつまらないものになっていただろうか。

宇川直宏(マムンダッド・プロダクションズ主宰)
MiniDVとマッキントッシュ、そしてアフターエフェクツとプレミアさえあれば誰もが“自称デスクトップ・ブラッケージ”になってしまえるこの御時世に、本家による『ドッグ・スター・マン』完全版が劇場公開されるという...。こ、これは事件である!!  テクノロジーに依存した陳腐でお手軽なコンピューターグラフィックスが蔓延する現在、40年前からフレッシュなエクスペリメンタル汁が滴って止まないブラッケージの偉業に触れることの意義は限り無い....。そう、全ての映像表現は暗黙のまま『ドッグ・スター・マン』に感染していたのである。



 

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