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-スタン・ブラッケージを
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ブラッケージ・アイズ2003-2004
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『リスポンド・ダンス ―スタン・ブラッケージをめぐって―』    

[概要]

展示企画 2003年11月22日(土曜)〜30日(日曜)まで
横浜赤レンガ倉庫1号館 2階 多目的スペースA・B・ロビー

ライブ企画 2003年11月24日(月曜・祝)(予定)
      横浜赤レンガ倉庫1号館 3階 ホール

主催 ブラッケージ・アイズ実行委員会

[趣旨]

今年の3月、アメリカの実験映画作家スタン・ブラッケージが癌で他界しました。

私たちブラッケージ・アイズ実行委員会は、ブラッケージの作品を大規模に紹介する『ブラッケージ・アイズ2003-2004』と、同時開催企画『リスポンド・ダンス―スタン・ブラッケージをめぐって―』を、彼の生前から計画してまいりました。『リスポンド・ダンス―スタン・ブラッケージをめぐって―』は、ブラッケージを現代の古典としてではなく、現在進行形の生きた芸術として捉える為のプロジェクトとして計画しました。ブラッケージ作品が投げかける問題を多角的かつアクティヴに捉え直し、現代日本のアート・シーンに結びつけることが目的です。

ブラッケージが亡くなった今、この企画はますます重要性を増しているように思います。最後まで前衛として生きたブラッケージが、生涯をかけて追求したものは何だったのか、ブラッケージの眼が見たものは何だったのか、ブラッケージが夢見たものは何だったのか。そして、ブラッケージの意志を私たちはどう捉え、どう継承するのか。そのことへの一つの答えとして、このイベントを行います。

内容は、スタン・ブラッケージの活動を紹介しフィルムやスティル写真を展示するブラッケージ展、シンポジウム、ブラッケージに触発された様々なジャンルのアーティストたちによるライブ・パフォーマンスや作品展示を通した「ブラッケージ論」からなります。トリビュートやオマージュといったレベルを踏み越えて、ブラッケージという極星を軸に未来の芸術を模索するイベントにしたいと考えています。

展示は横浜赤レンガ倉庫2階の多目的スペースで11月22日(土曜)より30日(日曜)まで行い、ライブ・パフォーマンス、シンポジウムは映画上映とあわせ『ブラッケージ・アイズ2003-2004』のプログラムの一部として11月24日(月曜・祝)(予定)に一日かけたイベントとして3階ホールにて予定しています。

[スタン・ブラッケージとは誰か]

スタン・ブラッケージはジョナス・メカス、ケネス・アンガーらと共にアメリカ実験映画の三代巨匠と呼ばれる映画作家です。1933年にアメリカ、ミズリー州カンザスに生まれ、1953年に処女作『インタリム』を制作、55年にニューヨークに移り、マヤ・デレン、マリー・メンケンらと親交を結び、旺盛な創作活動に入ります。初期のサイコ・ドラマから神話詩、抽象的映像詩、アヴァンギャルド・ホームムービーと作品は変化し、80年代以降はフィルムに直接ペイントする“ハンドペインティッド・フィルムス”に没頭します。代表作は即興的カメラワークにより生と死のイメージをつづる『夜への前ぶれ』、透明フィルムに蛾の羽を貼り付けた『MOTHLIGHT』、検死解剖の現場を冷静に撮り続けた『自分自身の眼で見る行為』、存在論と映画技法の集大成ともいえる『DOG STAR MAN』 など。様々な表現スタイルと技法を駆使しながら一貫しているのは“見ることへの意志”と“映画を存在に重ねあわせていくこと”だといえます。

2003年3月9日、移住先のカナダで癌のためなくなりましたが、死の間際まで病床でハンドペイントフィルムを描き続けていました。

[視覚の芸術]

ブラッケージの映画ではピンぼけ、手ぶれ、露出オーバーあるいはアンダーなどが映画的ボキャブラリーとして大胆に活用されています。またブラッケージはフィルムに直接物を貼り付けたり、ペイントしたり、化学薬品で映像を溶かすなど、絵画のデカルコマニーやフロッタージュといった技法を映画に転用することにより、カメラによって形成される名辞的な実写映像の世界を相対化し、実写・ペイント・貼り付けられた物質などが等価に複雑に構成された総合的な視覚像の世界を創り出しています。美術と写真と映像(動画)の境界があいまいになりハイブリッド化しつつある現在の芸術状況を先取りしていたともいえます。

しかし、ブラッケージが開発し映画に取り入れた様々な技法は、映像を飾る修辞的なものではありません。天体望遠鏡やX線といったテクノロジーがわれわれの認識を開き、世界観を変革してきたように、ブラッケージが繰り出す手作りの技法も肉眼から離れた眼として固定化した世界像に揺さ振りをかけ、認識を開きます。映画は存在論と深く結びついているのです。

[サイレント映画はジャンルを超えて]

ブラッケージの映画はほんの数本を除いてすべてサイレントです。ブラッケージ映画を見る時、映画においていかに音が意味機能を担っているか、音楽が創り出す情感が時空間を支配するか、音に包まれて映像を見ているかを思い知らされます。また、微かな光の変化や暗闇をよぎるものの輪郭から音が聞こえてくるようです。音を無くすことで、視覚と聴覚と触覚が相互乗り入れをしたような錯覚にとらわれます。多くのミュージシャンがブラッケージの映画に音楽をつけてみたいと語るのは、そこに鳴っていない音楽を聴くからでしょう。ブラッケージのサイレント映画は根源的であるがゆえに、ジャンルを超え、感覚の境界を逸脱し、私たちの全身体に静かな振動を引起します。

[解放のメディア]

 ブラッケージは「眼を通してではなく眼とともに見る」というウィリアム・ブレイクの言葉をかりて「機械(カメラ)を通してではなく機械(カメラ)とともに見る」といいます。では、ブラッケージが見ようとした世界とはどんな世界でしょう。

“ものを見ることに関して、人間が作り出した規制に支配されていない眼を考えてもらいたい。構成上の論理による偏見を持たない目。ものの名前に反応せず、この世で出会った一つ一つのものを、知覚の働きによって記憶せずにはいない眼を。緑を意識しないで這っている赤ん坊の目には、どれほど多くの色彩が草原の中に見えるだろう。”
(ブラッケージ)

ブラッケージは、映画を自由にし、多様にしたのではなく、映画とともに人間を解放しようとしたのです。

[ブラッケージをどう捉えるか]

 映画とともに人間を解放しようとしたブラッケージが、映画を自由で多様にした映像作家として捉えられてしまう、このような逆説が働くのが現代です。ブラッケージに限ったことではありません。楽器とともに人間を解放しようとした音楽家は、音楽を自由で多様にしたとして評価される、これは現代の芸術が抱えるパラドクスといえます。

残念ながら、ブラッケージの死は日本ではまったく報じられませんでした。そもそもブラッケージの存在そのものがまだ日本ではほとんど知られていません。代表作である『DOG STAR MAN』の完全版が2000年にやっと公開されたといった物理的な問題に加え、このような現代芸術のもつ事情もそこには働いているようです。しかし、ブラッケージの業績を正当に評価しようとするならば、実験映画というジャンル内で評価するのではなく、より広い地平で評価することが必要になってきます。

[リスポンド・ダンス]

ブラッケージは偉大な映画作家ですが、過去の古典ではありません。数ヶ月前まで映画を作り続ける現役の映像作家でした。そして、彼の映画の根源的な力は今なお私たちを触発し続けます。また、ブラッケージの言葉は今日の閉塞した芸術状況に風穴を開けるような多くの示唆をもたらしてくれます。

“ここらあたりで僕はぜひ目を転じて、西欧世界のドラマの全面的な崩壊についていくらかの考えをまとめておかなければならない。まず社会全体が踊っていた。そのうち、一番うまい踊り手たちがそれをリードした。彼らが踊りの名手、専門家になるにつれ、後についてくるものから自分たちを(人間同士であるはずの仲間に対する権力で)切り離し、みんなを〈踊り〉(ここではもう単なる踊りではなく、括弧つきの〈踊り〉になり始めているんだ)に仕えさせたがった。”
(『アメリカの実験映画』より 石崎浩一郎訳)

これは、ブラッケージの著書『視覚における暗喩』の最終章「リスポンド・ダンス」の一節です。生の全体性を見据え、社会と芸術の在り方への深い問題意識を持ったブラッケージの思想の大きさが伺えます。それは「カメラを通してではなくカメラとともに見る」というアクチュアルな実践によって形成された思想です。

したがって、私たちはブラッケージとの実践による動的なコミュニケーションを目指します。ブラッケージ作品に新しい角度から光を当てると同時に、日本で活動する様々なジャンルのアーティストたちが自らの表現によってブラッケージ論を展開します。

言葉だけではなく、様々な実践によってブラッケージの思想を論じるのです。それは、ブラッケージへのオマージュであり、トリビュートであり、対話であり、批判であり、対決であるかもしれません。いずれにせよ、どこまで深くブラッケージと関われるかがアーティストに問われます。

「まず社会全体が踊っていた」この驚くべきイメージに誘われて、私たちはこのイベントを『リスポンド・ダンス』と名づけました。応答するダンスという美しいイメージのように、ブラッケージが発した映画や言葉への反応が、世代やジャンルを超えたコール・アンド・レスポンスの渦となり、表現のダンスとなることを目論んでいます。

[構成]

この企画は大きく分けると以下の要素からなります。

A.ブラッケージ映画の展示

ブラッケージ映画は余りにすばやく画面が変化するため、その複雑な構造は広く理解されないままにきました。そこで私たちは時間芸術である映画を止めて、コマを平面上に配置し、映画を展示することにしました。スタン・ブラッケージの映画のコマをスティル写真に引き伸ばして展示し、フィルムに直接ペイントした『ハンドペインティッドフィルムス』のフィルムそのものを展示します。これは、通常の映画のスティル写真を展示するのとは全く違います。視覚芸術の境界領域に屹立するブラッケージの作品は、展示によってコマとコマの間でなにが起きているのかを示し、総合的な視覚芸術としての姿を明らかにします。映画を分析するだけではなく、ブラッケージ映画の構造とアナログ・ハイブリッドの極致ともいえる多様な表現は、新たな感動を生むことでしょう。

B.在日芸術家による表現を通したブラッケージ論

現在日本で活躍する芸術家による、ジャンルの表現を通したブラッケージ論。これは更に3つの柱に別れます。

  1. 現代美術家による美術作品の展示
    ブラッケージは美術から影響を受けると同時に、多くの現代美術家にも影響を与え支持され愛されてきました。そこで、数人の現代美術家が「スタン・ブラッケージ論」というテーマで作品を制作します。現代美術家の眼と手を通過したブラッケージ像が、どのような作品として結実するのかが期待されます。絵画、写真、インスタレーションなど。美術家は5名から10名を予定しています。
  2. トリビュートフィルムの制作・上映
    いうまでもなくブラッケージの影響最も受けているのは映像作家です。映像によるブラッケージ論をテーマに16ミリ100フィート以内の作品制作を10数名ほどの作家に依頼、出来上がった作品を一本にまとめ上映します。音楽のトリビュートアルバムとは違い、カバーバージョンではないオリジナル作品集です。
  3. パフォーマンス
    サイレントゆえに五感を覚醒させ、全身体的な衝撃を引起すブラッケージ映画は、ジャンルを超えたアーティストに影響を与えてきました。また、ブラッケージの作品や文章からは映画というジャンルにとらわれない問題意識の広さが伺えます。見るたびに違った印象を受けるブラッケージ映画は、パッケージ化された作品でありながら、ライブ性を持っています。ライブを表現手段とするアーティストたち、音楽家、ダンサー、パフォーマーがそれぞれのパフォーマンスを通してブラッケージを語ります。

C.シンポジウム

映像作家、批評家、『リスポンド・ダンス』参加のアーティストなど、様々な人々がブラッケージと映像と芸術を語り合います。

[結び]

 私たちは、ブラッケージ回顧上映会の開催を、巨匠の芸術を一方的に受容する機会と考えるのではなく、ブラッケージと積極的に対話する機会と考えます。ブラッケージと様々な人との出会いが、日本のアートシーンに化学変化のような何かを引起すことでしょう。

 STAN BRAKHAGE  
   
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