●スタン・ブラッケージ 映画の極北 メールニュース
NO.8
2002.2.28
○2/25、「BRAKHAGE EYES」ビデオ全3巻いよいよ発売!
○ブラッケージについて、個人的な思い、受けた影響、作品批評、もろもろを心ゆくまで語っていただくリレーエッセイ『私とブラッケージ』コーナー!第4回はパリで活躍中の映像キュレーター説田礼子さんPart2です。
○ロッテルダム国際映画祭2002にてブラッケージ特集上映!
○ブラッケージ関連ではなくても結構です。実験映画上映などのお知らせコーナー。
紹介してほしい情報も受け付けています。
お寄せいただいた実験映画、個人映画の上映会情報などは、ニュース配信の際に流しますので、ミストラルジャパン(info@mistral-japan.co.jp)までお願い致します。
★「BRAKHAGE EYES」ビデオ全3巻 好評発売中!
スクリーンを見る、生を見る、死を見る、己を見る、人間を見る、日常を見る、欲望を見る、闇を見る…。
「スタン・ブラッケージ作品集 BRAKHAGE EYES(ブラッケージ・アイズ)」ビデオ全3巻 2002年2月25日いよいよ発売!
2001.2月に発売し、大好評を博している『DOGSTAR MAN』の監督スタン・ブラッケージが『DOGSTAR MAN』の前後に制作し、“映画を撮ること”“生きること死ぬこと”が一体化した、“映画の極北”とも言われる7作品を収録した「スタン・ブラッケージ作品集 BRAKHAGE
EYES(ブラッケージ・アイズ)」をミストラルジャパンビデオより全3巻で発売致します。
収録作品は、人間の持つ生と死への憧れと挫折を映像化した『夜への前ぶれ』、事故で死んだ愛犬の腐乱していく姿を撮り続けた『思い出のシリウス』、愛妻ジェーンの出産シーンを記録した愛の詩『窓のしずくと動く赤ん坊』、蛾の羽、葉っぱ、花びらそのものをフィルムに貼り込んだカメラレス映画の代名詞『MOTHLIGHT』、死体検死の様子を望遠レンズで凝視した超問題作『自分自身の眼で見る行為』など、日本初公開を含む7作品。「スタン・ブラッケージ作品集 BRAKHAGE
EYES(ブラッケージ・アイズ)」は〈映画とは何か?〉また〈映像を見る行為とは何か?〉を問いかけます。
スタン・ブラッケージ作品集
BRAKHAGE EYES VIDEO 全3巻
定価 各巻4,000円+税 視聴覚ライブラリー価格15,000円+税(学校、図書館、公共施設などでご購入の際は視聴覚ライブラリー価格になります)
スタン・ブラッケージ作品集
「BRAKHAGE EYES 1」
『夜ヘの前ぶれ』 (ANTICIPATION OF THE NIGHT)silent 16mm color 40min. 1958 アメリカ VHS(NTSC)
その評価をめぐって、当時の映画界で大論争を引き起こしたスタン・ブラッケージ初期の代表作。
自らの遺書として作った作品で、ラストでは実際に撮影しながら首を吊る行為を実践している(未遂に終わる)。生と死を昼と夜の反復的映像で捉えたこの一遍は、人間の内面に潜む心の闇を視覚的にあらわにした画期的な作品。
スタン・ブラッケージ作品集
「BRAKHAGE EYES 2」
『FIRE OF WATERS』 sound 16mm B&W 7min. 1965 アメリカ VHS(NTSC)
ハイコントラストなモノクロフィルムで撮影された闇と光のポエム。“BRAKHAGEEYES”のなかでは唯一サウンドがある作品。闇の中に閃光が放たれる一瞬に、ブラッケージの作品制作における変化の予兆を感じさせる。
『思い出のシリウス』 (SIRIUS REMEMBERED)silent 16mm color 11min. 1959 アメリカ VHS(NTSC)
事故で死んだ愛犬シリウスの死体をあえて放置したまま撮影を続けた作品。死体は腐敗する際に熱を発して雪を溶かす。死臭ただよう中、涙を流しながら死と対面するべく何度もカメラは撮りつづける。シリウス星とは別名DOG
STAR。『DOG STAR MAN』は愛犬シリウスに捧げた作品とも言われている。
『THE DEAD』silent 16mm color 11min. 1960 アメリカ VHS(NTSC)
ベルギーからの帰路の途中でパリに立ち寄った際に、ペール・ラシューズ墓地とセーヌ河岸で撮影された作品。同行した若き日のケネス・アンガーを「生きながら死んでいる」自分の分身としてみたてて登場させている。ネガとポジを重ねることで、
生 (ポジ)のなかに組み込まれている死者(ネガ)を表現している。
『窓のしずくと動く赤ん坊』 (WINDOW WATER BABY MOVING)silent 16mm color 12min. 1959アメリカ VHS(NTSC)
死のイメージにとりつかれたブラッケージにとって、娘の誕生は全く新たな出来事だった。臨月の妻ジェーンが入浴中に捉えた水と光の構図が抜群に美しい。出産シーンに立ち会い、撮影することでブラッケージは真に生き返ったのかもしれない。ブラッケージ初期の代表的傑作!
スタン・ブラッケージ作品集
「BRAKHAGE EYES 3]
『MOTHLIGHT』 silent 16mm color 4min. 1963 アメリカ VHS(NTSC)
蛾の羽、葉、花びらなどを直接フィルムに貼りつけてダイレクトにプリントした、カメラなしで作られた(カメラレス)映画の代名詞的な作品。映写機の光によって死んだ蛾や花はまさに蘇生するかのようだ。ブラッケージのカメラレス映画は現在進行形のライフワーク的作品群“Hand-Painted
Films”に引継がれている。
『自分自身の眼で見る行為』 (THE ACT OF SEEING WITH ONE'S OWN EYES)silent 16mm color 32min. 1971 アメリカ VHS(NTSC)
見ることを追究し続けたブラッケージの行き着いた先は、死体検視の場面だった。皮膚は切り裂かれ、内臓が取り出され、頭蓋骨がノコギリで割られ、脳味噌が露出する。この作品は決して死体愛好者の享楽のための映画ではない。32分間見続けるなかで、観客は死を、生を、人間を、物を、日常を、己を見る自分に出会う。
※通信販売、店頭販売のご注文予約を受け付けております。
info@mistral-japan.co.jp
ミストラルジャパン 片山まで。
★リレーエッセイ「私とブラッケージ」第4回(説田礼子Part2)
〈ある予兆〉
前回に引き続きブラッケージである。
最初にご紹介した作品「自分自身の眼で見る行為」が、被写体の余りにセンセーショナルな意味での話題や興味ばかりが先行して、真の意味での彼の作品に対する評価が歪んだ形で伝えられてしまう不安があり、この文章を付け加えることにした。またとても基本的なことだが、アート作品を見るにあたって常に、一人の作家を一つの作品のみで判断するのは大変危険である、ということだ。
ブラッケージにおいて私が完全にノックアウトされてしまった彼の才気溢れる感性は、見ることに徹底したその眼に代表される彼の態度そのものでも勿論あるが、それ以上に繊細にして力強い宇宙的な規模での真の物語性である。
「夜の前ぶれ / Anticipation of the night」という作品は1958年制作の中編サイレント映画(40分)である。自らの遺書として制作された、といわれているこの作品は、繰り返される光と闇のイメージが、さまよい歩く男の散文詩のようで感動的である。
題名を見る限りでは、夜の訪れを待つ頃、つまり夕暮れの場面を想像するかもしれない。 しかしここで紹介されているイメージの大半を占めるものが、闇の中に浮かび上がる光であり、むしろ夜明けへの前ぶれ、といえなくもない。
ルナパークで遊ぶ子供たちや夜のしじまに動きつづける動物たち、それらを見つめていた眼は、徐々に木陰から見上げたダークブルーから透明な白身を帯びてくる夜明けの空へと向かってゆく。夢遊病者のような足取りが深い闇の終わりに近づきつつあるその頃、何故か緊迫したカメラのぶれと不自然な動きを画面に感じ取ることだろう。
そこで、物語は唐突に終わりを告げるのだが、私は後になってその場面は彼の自殺行為(未遂におわる)である、ということを知ったのである。(それ故に遺書としての性格が強調される)前ぶれはある出来事の予兆、予感とでも言い換えられるだろうか。何か本番の始まる
前の状態である。
しかし前ぶれというものは、時に何かに変えがたいほどの物語性を持っていて、その不確実さ及び可能性で圧倒的な強さを見せつけることがある。(同作家による「ドッグ・スター・マン」の序章も良い一例であろう)「夜の前ぶれ」という作品は、私にとって、人生の予兆、いやもっと突き詰めれば人生そのもの、と置き換えられるような印象を受けた。
なぜなら、人生の最期へ向かって歩いてゆく人間は、闇や光の世界の中である予兆を感じ取りながら未来へと歩いてゆく。決して過去に戻ることも出来ないが、絶対的な究極である死に触れることも出来ない。それに触れた瞬間に、予兆は既に終焉を迎え、絶対的な静寂が訪れる。
つまり、人生は「夜(=死)の前ぶれ」であり、私たちが常に本番だと思っている人生は死という絶対地点への、かすかではかない予感でしかないということだ。記憶の曖昧な中で、この余りに美しい作品を正直言ってもう一度みたいという気持ちを今は無理やり押さえている。
なぜなら、人生においてやり直しが決して不可能であるように、それと等価値の重みを持ったこの作品もそう簡単にはコマ戻しや再生を繰り返すことはできないのである。
綿密に作られたというよりも、散文詩と私がよぶところのスケッチに近い作品だからこそ、やり直しのきかなさがより切実な力を持ってくるのである。
今の私にできる本当にささやかな抵抗は、この映画を簡単に再生しないことである。それは彼の遺書への私なりの敬意でもあるといえるだろう。
最後にサイレント、についてであるが、常に音楽やせりふの多いハリウッド的映画やTV番組を見慣れてしまった私たちには、きっと映像を映像のみとして見る経験が非常に少ないのではないだろうか。チャップリンのような明確なストーリーがあれば耐えられるが、抽象的なイメージの連続は時として耐えがたい印象を与えるかもしれない。
それ程我々は、目で見た情報と言葉がひとつに連結しないと不安になるように仕組まれてしまいつつある。(最近のTV番組で出演者の話し言葉までが字幕になる状況は異常だと思われる。もちろん耳の不自由な人への配慮がそこにあることは見て取れるが、耳が聞き取った情報だけでは確認不足だと言うのだろうか...)
無音状態の映像においては、私たちの視線は画面に集中せざるを得ないし、その状態では自ら意味を模索する以外に道はない。
とにかく、その状態を一度経験してみて欲しい。
ごまかしのきかない映像のみで構成したブラッケージの賭けは、今の時代に非常に貴重で真の意味をもっているといえるだろう。
・・・説田礼子(せつだれいこ)・・・
インディペンデント・キュレーター
東京都出身。パリ11区在住。立教大学文学部仏文科卒業後パリ第4大学へ留学。画廊勤務、グルノーブル国立現代美術センター研修などを経て展覧会をはじめとする文化イベントの企画を行う。「失敗は成功のもと」を信じて、同時代の人たちと何かを作り続けられたらなあ、と願っている。
★NEWS!
ロッテルダム国際映画祭2002(1/23-2/3)にて、スタン・ブラッケージの特集上映がありました。全10プログラム68作品の上映というボリューム!!詳しくは以下のURLを御参照ください。
http://www.filmfestivalrotterdam.com/archive/
programme.jsp?lang=nl&num=13&festivalyear=2002
★映画上映、イベントの紹介
●〈なんでも塾〉映画上映のお知らせ!●
「ドキュメンタリーな暮らしを味わう」
=ドキュメンタリービデオ『Dear tari -ディア・ターリ-』上映とトークの集い=
日時:3/9(土)PM2:00〜4:00
場所:回帰船保育所
(小金井市中町4-7-7 当日のみ問い合わせ042-384-1839)
参加費:500円
問い合わせ:片山薫 0422-39-7644
◇なにげなく過ぎていく日常の暮らしの中で、気に掛かる出来事や人との出会いを丹念に映像化していく。ドキュメンタリーフィルム制作は、時として立ち現れる思いがけない「わたし」と「あなた」との新しい物語なのかも・・・
今回は、映像作家の山上千恵子さんをゲストにお招きし、『Dear tari -ディア・ターリ-』ビデオ上映とトークの集いを企画しました。
山上さんにとって、「ドキュメンタリーを撮ること」のテイストやパフォーマーであるイトー・ターリさん(回帰船保育所保育者)との出会いなど、わくわくする話をしていただけます。乞、ご期待!!
〈安藤能子:保育労働者〉
『Dear tari -ディア・ターリ-』
“セクシュアリティーを問い続けるパフォーマー イトー・ターリの記録”
監督:山上千恵子 42分 2000年
●2001年ソウル女性映画祭 アジアンショートフィルム及ビデオコンペティション部門観客賞受賞
●台湾女性映画祭「ウィメンメイクウェーブ」正式参加
【制作者のコメント】
撮影当初私は、ターリのパフォーマンスの魅力に魅せられて、その制作過程と出来上ったパフォーマンスの映像を中心に、ターリがセクシュアリティーを問い続けている意味と自分らしく生きることの大切さを問いかける作品を作ろう、と気楽に考えていました。それが・・・、撮影が進むにつれ、私は自分の軽薄さを思い知らされることになったのです。ターリに迫ろうとすればするほど私はぶしつけな質問をぶつける一方、妙に気を遣う。ターリはあいまいにはぐらかす。なんだか中途半端なものになる。
やっぱりヘテロである私にはターリを描けないのか、と何度も撮影をやめようと思いました。でもターリや彼女の周りの人、レズビアンの人たちの話を聞くうちに私は、“彼女を理解しようとする態度が問題なのではないか。気を遣うことこそ私の中の偏見なのではないか。”これは私の問題なのだと気づき始めました。そして私は私自身のセクシュアリティーを問い始めました。この作品を見て下さる方たちにも『自分らしく生きたい』と性差別と異性愛主義に直面しているポジションからひとつの生き方を、身体性を、エロティシズムを提示するイトー・ターリのパフォーマンスから、彼女の問いかけを受けとめてセクシュアリティーについて考え、異性愛だけが愛の形ではなく、一人一人違う自分のセクシュアリティーを問い直すきっかけにしていただきたいと思います。〈山上千恵子〉
〈なんでも塾〉とは?
人と人が出会い、深いところで受けとめ合い、学びあい、共感して、ステキな気持ちで生きにくくなっている今の日本。大人たちが、からだも心も疲れ果てていたら、子どもたちにむかって「大きく育って、いっしょに豊かな社会を作っていこうよ!!」って言えない気がする。だから・・・人と人のかかわりのありよう、地域社会のありよう、文化教育のありようを見直し、自分達の足場からもう一度つみ直すために、身近で手軽に使えるスペースが欲しい。
そこで、回帰船保育所を借りる形で、大人ひとりひとりが自発的になんでもやってみたいことがやれるような、フリースクールを発想しました。・・・
●「東北芸術工科大学 映像コース 作品上映会 in TOKYO」●
◆上映作品
『生キテイル匂イ』似内一紀 ビデオ 27分
『ハナトユメ』岡田麻里子 ビデオ 9分
『Peter Piper Pumpkinhead』黄木優寿 ビデオ 21分+8mm 3.5分
『かたまり』伊藤京子 アニメーション 5分
他、上映作品多数。
日時:2002年3月10日(日)
1回目 14:00〜
2回目 17:00〜
料金:500円(当日のみ)
会場:キノ・キュッヘ(JR国立駅南口下車富士見通り 徒歩15分)
問い合わせ:090-9422-6091(ニタナイ)
042-577-5971(キノ・キュッヘ)
http://www.cg.tuad.ac.jp/media-arts/
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ニュース配信:ミストラルジャパン
info@mistral-japan.co.jp
[スタン・ブラッケージ 映画の極北 ML]
参加希望も受け付けています。
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