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●スタン・ブラッケージ 映画の極北 メールニュース
NO.21
2003.3.7

○「LOVE SONGS」2/25より ビデオ発売中!
○ボールダー・ヴィクトリアの旅報告
○「ブラッケージ・アイズ2003〜2004」での
 通訳・翻訳ボランティア募集中!
○LOVE SONGSをめぐって 那田尚史氏より黒川芳朱氏へ

☆ 「LOVE SONGS」VIDEO 2/25より発売中 ☆

ブラッケージは現代の特筆すべき画家でもある!

ミストラルジャパンでは、『DOG STAR MAN』『BRAKHAGE EYES1.2.3』に続き、スタン・ブラッケージの近年のライフワークであるハンドペイント作品集『LOVE SONGS』を、2003年2月25日にビデオリリース致しました。ブラッケージが1980年代半ばから連作をはじめた“ハンドペイント”作品は実に魅惑的で美しく、アグレッシブに描かれた絵具が画面上を揺れ、時に優しく、時に激しく躍動します。筆使いにも似たカメラワークは感覚的で、我々の五感を覚醒させずにはおきません。収録作品は、ガンの手術の前日に撮影された遺言的フィルム『コミングルド・コンテナーズ』、あたかも細胞やDNAがダンスをするかのような『カップリング』、黒い絵具がしだいに厚味を増して激しく愛を主張する『LOVE SONG』、フォーカスや光の投射具合、長時間露光など多くのバリエーションを施すことによって、メロディーやリズムを超えたフレージング的映像作品『エレメンタリー・フレーズ(フィル・ソロモンとの共作)』など9作品。いずれも音声のないサイレント映画ですが、観客の内面に自らの音感を自覚させます。フィルム・マテリアルへの愛、そして家族への愛。ブラッケージが奏でるLOVE SONGの数々を、音のない画面上で展開します。

(ハンドペイント=35mm等の映画ポジフィルムをダイレクトにペイント施したもの)

「LOVE SONGS」VIDEO(MJA-010)
定価5,000円(+税)/視聴覚ライブラリー価格15,000円(+税)

【収録作品】

『アーサン・エアリー』
(EARTHEN AERIE) 2分/1995
『美しき葬列』
(BEAUTIFUL FUNERALS) 1.5分/1996
『コミングルド・コンテナーズ』
(COMMINGLED CONTAINERS) 3分/1996
『カップリング』
(COUPLING) 4.5分/1999
『LOVE SONG』
11分/2001
『LOVE SONG 2』
2分/2001
『マイクロ・ガーデン』
(MICRO-GARDEN) 3.5分/2001
『コンクレサンス』
(CONCRESCENCE) 3.5分/1996 (フィル・ソロモンとの共作)
『エレメンタリー・フレーズ』
(ELEMENTARY PHRASES) 33分/1994 (フィル・ソロモンとの共作)

(全て16mmスタンダード/サイレント/64分/カラー/アメリカ映画)

★「LOVE SONGS」VIDEO取扱い店舗

青山ブックセンター本店、青山ブックセンター六本木店、青山ブックセンター新宿ルミネ1店、青山ブックセンター新宿ルミネ2店、TOWER RECORDS新宿、TOWER RECORDS渋谷、TOWER RECORDS吉祥寺、タコシェ、リブロ池袋、ぽえむぱろうる、模索舎、東京都写真美術館ミュージアムショップ、メディアショップ(京都)、横道AGO(仙台)他

★通信販売でも取り扱っております。
http://www.mistral-japan.co.jp/goods/buy.html

発売・問合せ:株式会社ミストラルジャパン 担当=片山、水由(みずよし)
TEL:03-3479-7499
info@mistral-japan.co.jp
http://www.mistral-japan.co.jp

☆ ボールダー・ヴィクトリアの旅報告 ☆

極北のメールニュースでは、今回から水由と片山によるアメリカ&カナダのこぼれ話をお伝えします。

「スタンはビクトリアで穏やかな時を過ごす」

2月の前半にスタン・ブラッケージ FILM EXHIBITION「ブラッケージ・アイズ2003〜2004」関連でアメリカとカナダへ出かけてきた。スタン作品の試写と関係者へのインタビュー、資料収集が目的だった。

雪のコロラド・ボウルダーからスタンの居るカナダのビクトリアへは、世界最大級の規模をほこるデンバー空港からカナダ第三の都市バンクーバーで1泊した後、朝早くバスとフェリーに乗ってジョージア海峡を挟むバンクーバー島最南端を目指した(ややこしいがバンクーバー市はバンクーバー島の中にはない)。ブリテッシュ・コロンビア州の州都のビクトリアは、カナダで最も英国的な香りを残す美しい街。

着いた当日も小春日和の陽気で早咲きの桜が咲いていた。「暖かい!」

スタンとはボウルダー滞在中に会うつもりでいたが、私の生業の都合でこの時期になってしまった。その間のスタンの具合は芳しくなく、最近では親族や親しい友人以外とは会わず、また作品制作からもリタイアした? との情報も流れていたので心配していた。

前日の電話で短時間であれば会うことは可能との返事をもらい、ダウンダウンから車で15分程の距離にある新しい住まいを目指した。

スタンとの再会は一昨年の6月以来、およそ1年8ヶ月ぶりだった。昨年の9 月に長年教鞭をつとめたコロラド大学を勇退して、ボウルダーから住まいを奥さんマリリンの故郷ビクトリアに移していた。病気を患っているスタンにとっては、寒いボウルダーから温暖なビクトリアへの転居は身体にとっては賢明な選択であったことだろう。

スタンは以前より痩せ、歩行器を使わないと歩けない状況だった。

身体の具合は電話では聞いていたが、現実の姿を目にしたときは言葉につまってしまった。その時スタンは私の動揺をかき消すように現在制作中の『チャイニーズ・シリーズ』の35ミリコア巻きフィルムを取り出し見せてくれた。黒味に“フィンガー・スクラッチ”を施した作品である。「エマルジョン面を濡らして指でスクラッチをするんだ」とスタンは笑顔で話してくれる。

200フィート程ある35ミリフィルムのおおよそ80%は作業が進んでいた。厚い大きな手でいつもと同じ様にフィルムを触っている。リタイアしたなんて流言にすぎず、スタンの制作意欲はいささかも変わっていなかった。

しかし、スタンの体調を考えると11月からスタートするFILM EXHIBITIONへの来日は厳しいと言わざるを得ない。残念だが…。

奥さんのマリリンは理知的な女性。スタンの作品にリスペクトしている様子が話の節々に感じられる。
1年8ヶ月前に比べ、一段と大きくなったアントンとヴァーグンの息子たち。
美味しい葡萄をごちそうさま。

その後、スタンがとても気に入っているという近くの小さなビーチまでマリリンに案内してもらった。陽の光が水面にきらめく小さな浜辺に備えつけられた木のテーブルで、スタンはハンドペイント作品を作り続けていたと聞く。

私たちは、それぞれスタンに想いを馳せながら美しい砂浜を歩き続けたのだった。

(水由章)

※次回は、新しいスタンとのコラボレーションを昨年末に完成させたフィル・ソロモンが登場します。お楽しみに!

☆ 「ブラッケージ・アイズ2003〜2004」での通訳・翻訳ボランティア募集中!☆

今年、11月より開催を予定している、スタン・ブラッケージFILM EXHIBITION 「ブラッケージ・アイズ2003〜2004」でのカタログ制作、資料作成等に関する、通訳・翻訳ボランティアを募集しています。

大変興味深い資料翻訳、インタビューのテープ起こしなどが主な作業となります。ブラッケージ作品、映像にご興味のある方は、ぜひお手伝いいただけると嬉しいです。

また、通訳・翻訳以外のボランティアスタッフも随時募集しています。

お問合せは下記のアドレスまでお願いします。
info@mistral-japan.co.jp

☆ LOVE SONGSをめぐって ☆

那田尚史より黒川氏へ

忘れていた頃に反論があった。
私の書いた短文を黒川氏が批判した。
それで、私が、黒川氏の文章は論理的には反論にはならないという前提のもとで、一応コメントを出した。
それに対して彼はまた反論を書いた。
面倒なことだが、また返答する。

今回の反論は以下黒川氏の考え方に要約できる。

「那田氏は自分がブラッケージになったような素朴さで、抽象表現主義の絵画が動けば抽象表現主義の映画が生まれると考えている。もちろんそんな映画があってもいい。しかし、私は抽象表現主義の絵画が動いたら抽象表現主義ではなくなると思っている」

まさにこの意見の相違が互いの意見を分断しているのだ。

私はこの文章を読んで、黒川氏は「映画は第八芸術である」という基本を知らないのだろうか、と思った。

映画は過去のあらゆる芸術様式を包含している新しい芸術分野である。当然美術的な要素を含む。例えば「美術映画」というジャンルがあり、ブラッケージのハンドペインティング作品は、典型的な美術映画である。そしてその美術的要素は明らかに抽象表現主義である。従ってブラッケージのハンドペイント映画は、簡潔に言えば抽象表現主義の映画作品である。

この論理は明々白々である。この明々白々なことに反論する黒川氏は、おもしろい人だなあ、とつくづく思う。

黒川氏がどんなに頑張っても第八芸術のなかの「美術映画」というジャンルはなくならないのだ。このことを銘記していただきたい。

さらに私はブラッケージのハンドペイント作品を「抽象表現主義」と断定した上で、その作品から得られた印象の世界を書き込んだ。これは、批評家の責務であり、作品を分類したうえで、「一体自分はどう感じたのか」を書く必要があると信じるからである。

いい作品は、その形式を分類すると同時に、自分の心に響きをもたらす。私はそれを書いた。しかし、黒川氏は、自己の印象批評を一言も書いていない。彼が問題にしているのは字義の解釈のみであり、美術百科事典の定義、美術の入門書の引き写しである。

批評家として「映像作家」黒川氏に提言する。

くだらない批評を書いているヒマがあったら、黒川氏は自分自身の作品に力を入れるべきである。
(くだらない批評、と書いたが、「Fs」に書いた黒川氏の批評は、なかなかの力作である。しかし、学者の端くれである私にとっては、面白くない批評である。なぜなら、ああいう文章は美術関係の書籍を読めばいくらでも情報として入手できるからだ。黒川氏でなければ書けない意見を聞きたい)。

黒川氏の映像作品はコンセプトに頼りすぎていて、肌理が粗い。優れた芸術家の作品は、出来上がった作品がもつ豊穣さが当初のコンセプトを遥に上回るものだが、黒川作品にはそれがない。もっともこれは非難ではない。前衛はしばしば「反芸術」を主張するものだし、構造映画、概念映画の類を作る作家達は自分のアーチストとしての欠陥を、反芸術のジャンルを選ぶことで上手に補完しているのだ。

おそらく黒川氏はコンセプチュアリズムに徹底するか、あるいは帯谷有理がやったように、逆にコンセプチュアリズムからロマン主義(帯谷氏の場合はエログロナンセンスの要素を上手に使って、それを構造映画のコンセプトに混入して成功している)に大転向するか、いずれかの方針転換を決意するときに、化ける作家なのであろう、と私は見ている。

私は黒川氏の才能は認めている。確か「三時に集まって」という集合映画では黒川氏のパートが群を抜いて面白かった。多分、黒川氏はあのような、自己のキャラクターを前面に出した作品を取ったら相当の腕前を発揮するのだろうが、どうやら彼は自分を「主知的な人間」と考えているのだろう。どうしても観念的な作品を作りたがって失敗している。どうか、この低迷する個人映像の世界に新風を呼び込むためにも、もう一皮剥けて欲しいものだ。

議論が前後するが、黒川氏の批評には過ちがもう一つある。もっともこの過ちは私の過ちとも共通する。

黒川氏はブラッケージのハンドペイント作品を「非決定論」と断定して要約した。そして私もそれには反対しなかった。しかし、実はブラッケージ自身は一連のハンドペイント作品に意味(因果律)を込めているのだ。試写のときに配られたシート(今手元にはないが)には、あれらの作品の多くはブラッケージにとっては「性の表現」であった、と記されていた。

確かに純粋形式的にはハンドペインティング作品は非決定論的な展開を見せているが、作家のインスピレーションの中では、それなりの論理性が通っているのである。

もちろんこれは黒川氏が悪いのではない。私も作品を見て性的なテーマに想像力は働かなかった。むしろミクロ的視点では鉱物の結晶を、マクロ的視点では宇宙空間への飛翔を連想した。

しかし、創作者のインスピレーションを尊重する立場に立てば、あれらのハンドペイント作品の多くはブラッケージにとっては性的イメージの再現だったのである。とすれば非決定論、と即断するわけにはいかない。

さて、抽象表現主義は映画にならないとか、美術映画というジャンルがあるではないか、とかの論争を繰り返しても、あまり得るものはないだろう。私は一映像ファンとして、映像作家である黒川氏に聞きたいことがある。それに答えていただく、という形でこの論争を盛り上げたいのだが、賛同してもらえるだろうか?

それは「夜への前触れ」を黒川氏はどう読むか?ということだ。正直なところ、ジョナス・メカスほどの慧眼がないのか、私は「夜への前触れ」が好きではない。好きでない、というよりは、あのような「主観主義的映像」を認めてしまっては批評が混乱するのではないか、と思うのである。つまり、ブラッケージというネームバリューも消し、メカスの批評も横において、白紙の心理状態であの作品を見たときに、本当に感動できるかどうか、私はそれが出来なかったので、黒川氏にぜひ批評してもらいたいのだ。

かつて大谷淳が「月刊ツヴァング」で「夜への前触れ」について長い批評を書いて絶賛していた。私はその批評を読んで、なるほどたいしたものだな、と感心した。


私は映像批評を15年やっているが、批評家の見る目と映像作家本人が見る目とでは、少しくズレがある。そのズレは時にはあまり重要でなく、時には大変面白い。

私は黒川氏に「夜への前触れ」を面白く解説していただきたい。
期待して筆をおく。

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